貿易立国フィンランド、ソ連崩壊で大ピンチ

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フィンランドは輸出で発展した国であり、貿易に大きく依存する国だ。

 

輸出÷GDPの値を貿易依存度(輸出依存度)というのだが、フィンランドの貿易依存度は、なんと25~35%だ。

 

これは国の経済の4分の1から3分の1が、輸出関連事業と言うことで、日本の10~16%と比べるとはるかに大きい。

 

いかにフィンランドが輸出に依存しているかってことだ。

 

現在のフィンランドの経済構成は、電子産業が20%、重工業が20%、林業が13%、そして化学工業が10%という比率になっている。

 

主な輸出品は、パルプや紙製品、石油類、電子機器主な輸入品は、原油、石油類、自動車、通信機器、医薬品など。

 

林業国であるフィンランドでは、パルプや紙製品の輸出が大きく、世界最大の製紙企業のストラ・エンソなどはフィンランドの企業だ。

 

そして電子機器も伸びていて、携帯電話大手のノキアもフィンランド。

 

フィンランドの輸出相手国は ドイツ(10.0%)、スウェーデン(10.0%)、ロシア(8.9%)、アメリカ(7.8%)輸入相手国は、ロシア(16.0%)、ドイツ(16.0%)、スウェーデン(15.0%)、オランダ(6.9%)しかしこのフィンランド、1991年には未曾有の経済危機に陥っていた。

 

ソ連のペレストロイカ政策が始まり、そしてソ連崩壊によって、主力だった対ロシア貿易が3分の1まで縮小してしまったのだ。

 

フィンランドの対ロシア輸出
1990年1万2,884フィンランド・マラッカ
1991年(ソ連崩壊)4,521
1992年3,020
1993年6,059
ここでフィンランドは、抜本的な国家の構造改革に着手せざるを得なくなった。

 



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ソ連崩壊でバブルも崩壊

東西冷戦下、東側と西側の交易中継地として経済を発展させてきたフィンランド。

 

これによって1982年には対ソ連輸出が、総輸出の26.7%を占めるまでになっていた。

 

国境あたりで行われるバーター取り引き(物々交換)もかなりの規模になっていた。

 

ところが1980年代後半に入り、ソ連のペレストロイカ(開放政策)で、ジワジワとこの対ソ連輸出が減っていく。

 

さらに1991年のソ連崩壊によって、対ロシア(ソ連)輸出は前年の約3分の1にまで落ち込み、経済が立ちゆかなくなった。

 

株価や不動産価格は半値まで暴落し、失業率もほぼ0から16.6%を記録するという有様。

 

5人に1人が仕事を失い、GDPもなんとマイナス13%。

 

国債も債務不履行に陥り、銀行も機能停止。

 

フィンランドの通貨マラッカは価値を大きく下げた。

 

この大ピンチにフィンランドは、憲法改正とユーロ参加、そして教育改革によって、新しいフィンランドを作るべく動き始める。

 

4つの基本法で成り立っていた憲法を1つにまとめ、新たなフィンランド作りのために教育改革を行ったのだ。

 

フィンランドは1983年から徐々に改正を始め、1995年からは2000年をメドに国民に分かりやすい単一の憲法にまとめる作業を始めた。

 

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