トフラーによると、工業社会で我々に起こった重要な変化とは、
労働と時間、金銭と時間が、強力に結びついたことだという。
農耕社会において、労働と時間は比例するものではなかった。
1時間当たりの作業量が増えても減っても作業が速く終わるだけで、
耕す田畑の広さは変わらないから、収穫量も増えなかった。
「速く終わって別の仕事をすればいい」と思うのは工業社会の価値観であって、
農耕社会では、そもそもそんなに仕事があるわけではなかったのだ。
工業化された社会に住む我々にとっては想像しにくいが、
農耕社会というのはかなり暇で、人もかなり余っているのである。
食うものと住む場所さえあれば人間は生きていけるから、
農村ではたいてい人余りで、豊作が続けば人口は目一杯増える。
そしてその後の凶作で、バタバタと人が死んでいくわけである。
発展途上国が多産多死であるのは、農耕社会というのがそう言うものだからであろう。
ところが工業化で定型的な労働、つまり同じ事を延々繰り返すような労働に対して
時間当たりの賃金が支払われるようになると、
人々の時間に対する価値観は一変してしまった。
それまでは自然が相手であるから、一日に何時間働いても、
生産物がそれに比例して増えると言うことはなかった。
しかし工業社会になると、働けば働くほど生産物が増え富が増えた。
だから起業家や地主は投資に次ぐ投資を行い、
たくさんの労働者を雇って農産物や衣料など、様々な物資を大量生産した。
一方、労働者は働けるだけ働いて、当時贅沢品であった衣服などを買った。
それが何年も続くと、周辺地域から余剰人口がどんどん都会に流れ込み、
新しく入ってきて増えた労働者のための産業も興ることになった。
ロンドンの都市圏人口も1800年には約86万人ほどだったが、
百年後の1900年には650万人となり、世界一の大都市圏を形成するようになった。
これがつまり工業社会のキーワードの「集中化」と「規模の極大化」である。
その後、2回の世界大戦を経て、世界の工場はイギリスからアメリカ、
アメリカから日本、日本から韓国や台湾や香港、メキシコなどのNIES、
そしてブラジル・ロシア・インド・中国のいわゆるBRICsと移っていったわけだが、
その後のイギリスに残ったのが「通信社」や「保険業」、「金融業」というのは示唆的である。
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時間と距離がゼロになる時代